マイナビ卒業生は今、どこで何をしているのかを追う「あの人は今」。
今回はマイナビに新卒で入社後、転職情報事業部で活躍し、大分県の実家の家業を手伝うためにマイナビを卒業。現在は有限会社エイコー印刷の代表取締役を務めていらっしゃる安部さんを取材させていただきました!「家業を引き継ぐ」と簡単にいかず職場で孤立した苦労の時期とは・・・?
(取材:羽田啓一郎)
まだ未成熟だった時代のマイナビに入社

ー今日はよろしくお願いします!安部さんが入社したときってマイナビ転職がリリースされたばかりの頃ですよね?
こちらこそよろしくお願いします。僕は2004年入社なんですが、当時はマイナビがまだ毎日就職ナビと名乗っていた時代なので、マイナビ転職も「毎日キャリアナビ」という名前でしたね(笑)。僕の同期は全体で70人くらいで、僕は新宿エルタワーの新宿キャリアナビ課という部署に配属されてゴリゴリ営業をしていました。
ーサービス立ち上げ期の営業は大変そうですよね。
僕の場合はサービス立ち上げ期だから大変というよりは、4月入社の直後に上司が体調不良になってお休みされちゃって、誰も何も教えてくれない状態だったことが大変でした(笑)。今のマイナビでは考えられないと思いますが、当時はそんな感じで僕はロープレとかもしてもらったことなかったですからね。だから新入社員時代の初受注は同期で一番ビリでした。でも僕、営業が好きだったんですよね。マップもガラ空きだったし、1日150件くらいアポ電して、どんどん開拓して。だから楽しかったですよ。
ーそんな楽しかったのに退職されたのは、ご実家の家業を引き継ぐためだったんですよね。
そうですね、僕は祖父にすごく可愛がってもらっていたんですが、その祖父に「帰ってくるなら俺の目が黒いうちに帰ってこいよ」って言われてて。でもその祖父が僕が入社2年目のときに亡くなって、僕が弔辞を読んだんですが「目の黒いうちに帰れなくてごめん」って言ったんです。それがずっと心に残っていて。その後、入社5年目の時に実家の工場で採用がうまくいかなくて。人手不足になった時に「俺が帰るしかないか」と。
ー辞める時は悩みませんでしたか?
悩みましたよ。でも僕自身の身の振り方というよりはチームに迷惑をかけるんじゃないか、ということに悩んでいました。当時、リーマンショックで人材業界自体が不景気だった時、チームで稼ぎ頭になっていた自分が抜けていいのか、と。でもその時に上司が「今後の人生どういう関わり方をするかわからない人のために自分の人生を犠牲にする必要はない。こっちはなんとかするから自分が進みたい方向に行け」みたいに言ってもらえて、それで決心ついた感じです。
世襲で社長継ぐ気満々で帰ったら社内で孤立・・・

ーめっちゃいい人がマイナビにはいたんですね!でも正直、実家帰れば後継者で社長ですもんね・・・。ちょっと羨ましい人生ルートだなと思っちゃうんですが。
と、思うじゃないですか。でも全然そんな甘くなくて。マイナビでずっと営業やってたのに、帰ったら印刷技術者ですからね。もうね、技術の仕事、全然できないんですよ。僕はもともと手先が人の3倍くらい不器用だし、絵心もない。印刷会社って人の手が入る技術もすごく大切なんですが、技術者としての才能が僕には全然なかったんですよ。「世襲で東京から帰ってきた」みたいな見られ方をどうしてもされたんですが、印刷会社に必要な実力がなければますます孤立しますよね。僕は当時28歳だったんですが、22歳の若手技術者にも顎で使われてましたし、父親が優しくしてくれるわけでもなく、社内でも居場所もなくてきつかったですね、あの頃は。
ー・・・失礼しました。結構厳しいですね、それ。そこからどうやって今の社長まで登ったんですか?
正直、技術力を上げてこの会社でのしあがろうとは思えなかったので、何か自分の力が活かせる余地はないかと思ったんです。そこで発見したのが、職人の技術は属人的で体系化されていなかったこと。だから僕はいろいろ調べながらマニュアルを作ったんですがこれがハマりまして。それぞれの社員の感覚でやっていたことが明文化されたことで再現性が高まって、組織全体のパフォーマンスが上がったんです。僕は技術力はないけどあらゆる技術の知見を網羅している、というポジションを作ることができた。あとはマイナビ時代に培った営業スキルも役立ちました。
ーそれ、気になりますね。全く異業種なのにどう役立つんでしょう?
営業としての地力というか勘所というか・・・。僕、facebookで「シール印刷・ファン友の会」っていう非公開グループを作って、そこに全国の同業他社の社長や工場長を入れていったんですよ。かっこいいネーミングじゃないけど、我々の業界はこういうのがウケるんです(笑)。で、そのグループで技術や仕事の話を盛り上げていくことで人間関係をつくっていったんです。そのグループきっかけで問い合わせや受注が増えていって、僕はどんどん仕事をとってくることに成功した。これで僕は技術者の仕事をしながら営業としてのポジションを確立することができて、徐々に社内でも認められていったんです。その後、専務を経て昨年、代表取締役社長の任に就いた、という流れです。
ディズニーも認めた大分の会社が目指す姿とは

ーめちゃくちゃいい話ですね!では今後、どんな会社にしていきたいとかありますか?
うちの会社は、シールやステッカーだったら国内はもちろん、世界最高レベルのクオリティを出せると自負しています。めちゃくちゃ審査が厳しい米国のWALT DISNEY社の製造認定工場の認可を受けていますから。でもね、僕はいつかメーカーになりたいんですよ。今は請負の仕事をしていますが、いつか自分たちの商品を作りたい。そしてそれを営業してまわりたいですね。僕、本当に営業が好きで今でも自分で新規開拓しているくらいですからね。マイナビ時代に培った企画力、交渉力と営業の度胸。何より自分で開拓していく面白さはやめられないですよ。
ー骨の髄まで営業ですね!
あと、求人媒体の営業経験がある人は「応募がない!」って怒られることあるじゃないですか。でもそれがメディアや企画のせいじゃなくてその会社が魅力的じゃないから、ということもあると思うんですよね。社長になった今、僕はそういう会社になりたくないと思っています。社員が働きやすい会社にしたい。うちは完全定時内就労なんです。みんなが定時で帰るために、生産効率を上げていく。「あそこに勤めていて羨ましい」と言われるような会社にしたいですね。それが、経営者としての今後の夢です。


